お茶日記

2024年10月29日
弟からエンジンのかからない30ccの草刈り機をもらった。農機具屋さんは私が使っている草刈り機よりは新しいし、直すのに30000円くらいかかるかなと。新品は65000円くらいするので自分で修理しようと考えた。コイル・クリーナーを買ってきてもかからず、とうとう、シリンダー分解までした。ピストンリングが折れて、シリンダーの内面にいっぱい傷が入っている。さらにピストンにリングの一部が固着し、ここにも圧縮漏れがある。そこでもらったピストンがあるので、ピストンリングを二個注文した。今年は山の辺米・ひとめぼれ・5kg・3000円。昨年より速いペースで売れている。明日香の香りは新茶の香りがして水色が青くみずみずしい。

2024年10月24日
八月中旬、日立掃除機CV-SE100が突然止まった。パワーヘッドのブラシのモーター部分が熱くなっていたので保護装置が働いたのかもしれない。解除には5〜60分かかると説明書に書いてあるが、いくら時間がたってもスイッチが入らない。販売店に修理に出したら、見積金額が買った価格より10000円くらい高かったのでやめた。見た目キレイなのでなかなかあきらめきれないでいるが電気はさっぱりわかりません。

2024年9月20日
今年八月末にぶどうを収穫した。植えて二年半で実った。四本植えてあって、5号くらい、売っているのとまったく同じ。20房以上となっていてがイタチか何かに食べられていた。これは巨峰の枝だと知人が作れたもので30本くらい挿し木して、6本根付いた。1本は強風で葉が折れて枯れ、1本は友達にやったが枯れたらしい。雨よけとイタチ・カラスなど対策をしなければと思っています。

2024年9月17日
今の暑さは異常で周りが山ばかりの当地も例外ではありません。9月13日、天理山辺連合神託総代会の会員がバス三台で一宮市の真清田神社へ総会を兼ねて正式参拝しました。トヨタの歴史も見学しました。理屈を言うより、やれ、と。だから、トヨタは成長すると分かったし、見習わなあかんと思った。今、前の田で近所の家族四人が稲刈りをしています。当地では稲は順調に育ったので平年作になると思います。私は新米がおいしいので毎回茶碗半分くらいはおかずなしで食べています。

2013年10月30日
10/17〜10/20まで関空17:45発の台湾へツアー旅行に行って来ました。桃園に着き、ガイドさんに聞くと29名の団体だそうです。二日目、故宮に行きました。見渡すと八割以上が中国人です。凄い混雑で入場制限をしています。そして、士林、あの事件のあった芝山を通り、北投、淡水を見学。三日目は十分、九分、野柳、基隆へ。特に九分より基隆を見下ろす景色は素晴しいものです。この近くの三紹角に明治28年近衛師団が上陸したのに想いをはせ、感慨にふけりました。三日目、サンシャを見学して龍眼の乾燥したのを一袋100圓で買って帰国につき、天理には18:00頃に着きました。

2013年10月9日
9/28(土)の7:45に高速バスで名古屋へ。30分近く時間待ちをして新幹線・総武線と乗り継いで、千葉県市川市へ12:15頃着きました。翌日、早く用事が済んだので東京スカイツリーを見に行き、思っていた以上の大きさにびっくりです。その後、新宿西口の高速バスセンターから23:15に五條行きに乗車して、翌朝の5:30バス停に着きました。

2013年8月28日
ここ大和高原で稲刈りが始まりました。今年の夏は極端な小雨で、しかもカンカン照りの暑い夏でした。そのおかげで10日位平年よりも早く稲刈りが始まりました。気温が35℃もあったのに、2・3日前は最高気温が25℃にも届かず、朝は17℃位でした。だんだん秋らしくなって来ました。





2013年5月3日
第32回東大寺聖武祭大和茶奉納儀式に参加してきました。茶壷行列は東大寺・南大門、中門を通り、大仏殿の中に入りました。殿内は椅子席が着物を着た婦人で満員で立って見ている人も大勢でびっくりしました。おごそかな僧侶の続経に続いて千玄室大宗匠が献茶をしました。裏千家の方々に永田会頭が焼香して式が終わりました。私はその後、施茶釜、点心席、拝服席、副席を回り貴重な体験をさせていただきました。





2012年8月30日
工場の横の田です。稲が実ってきていて、穂もかなり頭を下げて来ています。6月は涼しかったので心配でしたが、7月になって暑くなり成育が良くなりました。菊芋の花も元気よく咲いてよく目立っています。その近くにゴーヤも実っています。





2012年8月10日
菊芋の花が咲きかけて来ました。背丈は180cmくらいはあります。つぼみもあちこちについています。稲穂は頭を下げています。6月は低温でしたが、7月の梅雨が明けて、晴れが続きました。その為、今年の作柄は良いようです。土手の草刈りをしたのでカボチャが見えています。





2012年7月17日
雛鳥はいつも通り青虫とヒナ用のエサを食べています。青虫は大好物で虫を見せると、羽をバタバタさせて口を開けます。水はストローで与えていました。しかし、数日前より、エサはダンボールの上に、水は水入れに入れておいて自分で食べるようにさせました。今朝はもう親の所へ帰そうと決めていました。家族4人が見ている中で籠から出して屋根の上へ、それから土面へ降りて来ました。何時まで経っても、飛び出そうとしないので、仕方なく、また籠に入れて飼っています。

2012年7月13日
夕方、仕事を終えて帰り道に道路の真ん中で鳥が動かずにじっとしていました。死ぬかと思い、工場へ連れて帰りました。この鳥はヒヨ鳥の成鳥です。ダンボールの中にヒナ用のエサと水を入れて雛鳥を入れました。血のようなものを出していてかなり弱っています。口を開けて、ストローで水を飲ませ、エサを食べさせておきました。翌朝、たぶん死んでいると思ってみると、ダンボールの中で元気にしていました。水を飲ませるとどこかに飛んで行きました。

2012年7月11日
捕まえた雛鳥がかなり鳥らしくなって来ました。朝は5時半よりピィーピィーと食べさせるまで鳴きっぱなしです。エサは畑に植えてあるキャベツやプロッコリーにいる青虫と雛用のエサです。一日に青虫は軽く50匹位は食べます。夜の7時頃には静かになり、寝ているようです。もう少し大きくなったら放そうと思います。

2012年7月3日
昼、倉の石段の所にこの鳥がいました。捕らえようとすると、少し飛ぶくらいですぐに着地。どうも、雛鳥らしく、バナナの潰したのを口を開けて食べさせました。何回かそうしていると、バナナを近付けると口を開けるようになりました。捕らえた時よりも元気になってピィーピィーよく鳴いています。大きくなれば離してあげるつもりです。

2012年4月10日
今日の気温は20度近くなり、ようやく春らしくなって来ました。4月7日の朝、雪がちらついていたのに今日はポカポカ陽気です。周りの田ではトラクターで田を耕したり、あぜを直したりと慌ただしくなって来ました。この辺は5月の連休に田植えをする人がほとんどで雨以外は毎日田で作業をしています。田植えの水は今のところ太くて心配なさそうです。小川の土手を歩くとつくしが目に止まりました。少しずつ、草が芽を出して来ているのがわかります。





2012年3月19日
曇り空でパラパラと雨が降る中、正倉院の見学に行きました。当選ハガキと三名の身分証明できるものを出して、受け付けを済ませました。3時からの見学でしたが、20分ほど早くても良いということで、堀のある通りを進んで行くと大きな建物が見えて来ました。その建物の中に入ると、あの正倉院の高床の下の柱が目に入りました。階段を昇り、正面に着くと三か所の扉がありました。中央は封印がしてあり、右側は中が見えるように開いていました。更に上に進むと、大屋根の前へと出ました。瓦はまちまちで欠けていたり、ずれていたり、また草が生えていて、雨もりでもしているのではないかと考えました。一口に瓦と言っても、奈良時代〜江戸時代のものがあちらこちらにあります。所々に宮内庁の方がいて、質問に答えてくださり有意義な日になりました。よく風雪に1200年間持ちこたえた、そして、戦乱から守り抜いたものだと思います。日本の歴史の偉大さに感銘を受けるとともに、我々日本人の祖先がこれを作ったことに対し誇りを強く感じました。





2012年1月16日
正倉院現場見学通知書が送られて来ました。昨年の10月だったか忘れましたが、新聞で正倉院を解体修理する際に見学が出来るというのを見て応募していました。インターネットで応募方法を見て、宮内庁京都事務所へ往復ハガキで申し込みました。何時になったら返事が来るのかと話していた頃に届いたのがこの通知書で平成24年午後3時0分に見学出来るとなっています。

2011年10月25日
工場のスレートの壁に取り付けてあるセンサーライトが夜、人に反応しなくなったので、10月18日に仕事の後、直そうと思い付きました。椅子を持って来て、スレートの前に並んでいた窒素ボンベの上に乗ったところ安定が悪く、ぐらついてしまいました。何かを掴もうとしても掴めず、後ろ向きに下へ落ちました。凄い衝撃が足に来て、しりもちをついてしまいました。余りにも痛いので夜間でも見てもらえる奈良の病院へ連れて行ってもらいました。診断は右足踵の骨折で3〜4週間がかかるとのことです。





2011年10月6日
自宅の横には昔から四体の地蔵があり祭っています。そこには笹と重なってなってんの木が茂っていて、その中にアケビのツルが伸びています。毎年、今頃になると、赤くなって中の白い実が出来て来ますが、今年は特に大きくなっています。子供の頃は山の中へと探しに行ってでも食べたのですが今は食べ飽きてもう誰も食べません。それに自宅の前の道を挟んだ所にある柿の木に今年は柿がなっています。去年は不作でした。しかし、これも最近に取って食べているのを見たことがありません。コスモスが咲いていて美しいので写真にしました。





2011年9月8日
当地、山添村は奈良県の北部にあり、今回の台風12号で大きな被害のあった十津川村は南部にあります。こちらは幸いなことに大した被害もなく、6日からは晴天でした。田んぼの水も引いて稲刈りが始まり出しました。風雨によって倒れているところもありますが、よほどでない限りコンバインで刈り取りをします。周りの田を見ていると赤とんぼが飛んでいて秋の風景です。今年の稲作りは順調で豊作のように見受けます。





2011年8月23日
日曜日に十津川村の果無集落へ行きました。途中、谷瀬のつり橋を手前のトンネルで抜け、十津川村の道の駅で足湯を体験しました。そこから約20分位で果無集落に着くと11時になっていました。世界遺産の石碑の上は車道になっていて、そこから見る光景は天空の世界です。眼下に吉野の山々が見渡せて、ここが奈良県であることを忘れてしまいました。そこから、下に向かって石敷きの小道を通り、一軒の家に着きました。木をくりぬいた水飲み場が中央に、右側は家、左側に納家がありました。そこを更に下ると、石敷きの道は畑の中を下へと続いています。納家の方で人の気配がして、あのおばさんが出てこられました。テレビで見たことを告げて、少しばかりお茶の作り方の話をして、再び散策しました。聞いた話ではこの集落は8件あるとのことですが、辺りには8件も見当たらず、もっと上にあるのかと思います。





2011年8月5日
工場の前の畑では、今年の夏が涼しいせいか秋に咲くはずの菊芋の花が既に咲いています。菊芋の葉は大きな葉っぱで高さは二メートル位になるものもあり、生命力の強い植物です。菊芋の花の色は黄色で、菊や小さな向日葵に似ているかもしれませんが、咲いている感じはコスモスのように思います。秋になると地下茎が出来、これが菊芋になります。





2011年7月25日
工場の前に小さな畑があって、そこでスイカを育てています。周囲と上辺を網で囲っていて、カラス・アライグマが侵入するのを防いでいます。ところが、4・5日前に網を破って中のスイカ7個を食べられてしまいました。そこで、役場より借りている檻に食べ物を入れて仕掛けておいたところ、朝にアライグマがかかっていました。弊店の周囲は田んぼで工場を含む周りをイノシシの進入を防ぐために電柵で囲っています。夜は電気を流していてもアライグマには効果はないようです。





2011年1月7日
H23年元旦の雪景色です。近年にない大雪となりましたが、例年通り寺、氏神さんを御参りしてきました。ところで、今日は七草粥です。我が家では朝にこの粥を食べていますが、七草全部揃えるのは大変で代用品を一品入れるくらいで済ましています。祖母がいる時は何品かを入れていたように思いますが、今日のは水菜のみさっぱりとしたものでした。それに、1月7日の早朝、山神に参る習慣があり、樫の木の枝を少し出たところで切り、引っ掛けるようにしたものをその家の男子の人数分に一人加えた本数を作ります。樫の木を担ぎ、手には餅とみかんを入れた籠を持って山に行き、山神の樫の木の枝に引っ掛けます。これがこの地の風習です。最近は山神に行く人も少なくなってきましたが、今日は誰も来た様子がなく我が家だけになってしまいました。





2010年12月20日
11月20日から2泊3日で韓国旅行に行ってきました。関空より一時間足らずで釜山へ着きました。28年前に来た時と比べ、山の中腹まで高層アパートが建ち並び、空港も真新しくなっていてハブ空港を目指しているとのことです。慶州とソウルで一泊して、帰国のために仁山空港へバスへ向かいました。高速道路はアップダウンのない10車線で3年で完成。鉄道は来年完成してソウル仁山間50分、仁山空港に架かる橋は20数kmに及び世界第四位の長さで、ソウルから海へ出る運河を10何年計画で掘削中、仁山の滑走路は15年で3本完成し、4kmのを建設中です。完成すれば利用者数は一億人になる。空港の施設の大きい事、関空は一地方空港に見え、目から鱗でした。韓国に学ばなければならないと思った旅でした。ところで韓国で出してくれたお茶は二箇所ともとうもろこしのお茶です。





2010年9月12日
耕運機で畑を耕そうと考えて、自宅より数分かけて行きました。そこは人家の隣にあり、林檎、サクランボ、みかん、ビワ、トマト、ゴーヤ等を植えています。スイカも毎年植えていて、カラス対策でネットを張っています。ところが、今年は何者かにネットを破られ、食べ頃のスイカを何個もやられました。一晩中、騒音を出すためにラジオをかけても、数日後には効果がありませんでした。次に林檎を食べられると思い、役場で檻を借りて来て仕掛けていたところ、アライグマがせかかって死んでいました。犯人はこのアライグマでした。





2010年9月6日
何時頃までかはっきりとは思い出せないが、子供の頃の記憶に残っています。この地域の朝食はお粥でした。夕食はムギ入りご飯で朝よりは贅沢な感じがしました。お粥はこの辺では「おかいさん」と言って、白粥、茶粥、さつま芋粥、あずき粥があり、特に夏の冷たい粥は美味しかった。もともと、粥は米が貴重品で食べれなかったために考えられたのだと思います。それと、朝食は夕食と違い、あっさりとした物が口に合うのと、早く食べれるので理に敵っています。今では粥はほとんど食べなくなりました。唯一、必ず頂けるのは葬式の次の日の朝に墓へ行った後のあずき粥です。県内のレストランでやまと茶粥を見かける時がありますが、どうしても子供の頃の記憶で、朝のイメージが強く、昼などに食べる気がしません。





2010年6月7日
1番茶の生産も終盤になって来ました。今年ほど、生産期の天候に恵まれた年はないと思います。本県は遅場所のない3月30日に静岡県であった霜害の影響もなく、味・香りと共に良質の茶が生産できた年になりました。今年は5月の日中、夜間の気候が低かったので茶葉が硬化しなかったためと考えられます。写真は茶を霜から守る防霜ファンです。このファンで地表の低い温度の空気を上空の高い空気で動かして滞留しないようにします。この地域では2〜5度以下になると、ファンが回るように設定している所がほとんどで寒い朝は、ファンの回る音が聞こえてくるほど強力です。





2010年5月24日
国道を左に約二キロの山道を登っていくと赤埴の集落に着いた。ほぼ登りきった所に佛隆寺の入口があり、そこから真っ直ぐに石段が伸びている。その奥の正面には本堂があり、手前の左側には「大和茶発祥伝承地」の碑が立っていた。ここが大同元年(806年)に弘法大使が唐より帰朝の際に茶の種子を持ち帰り、播種した所です。本道の右側から上に登ると、当山開祖堅恵大徳の石造りの廟がひっそりと佇んでいたのが印象的であった。が境内にあった樹齢1000年以上の杉の大木は切り株だけが残っていた。この寺は彼岸花が美しく有名で私の友人も写真を撮っていたのを思い出した。





2010年5月6日
今年の連休は天候に恵まれ、大方、田植えが終わりました。また、竹の子は多く生えているようで、4回程家に帰ると近所の人が置いていてくれました。今年は竹の子の多い年かもしれません。山の木々も10位前までは、枝そのものが見えていたのに、今ではクヌギが淡い黄緑色の柔らかい芽を一杯出しています。この時期、山全体が新芽で覆われ、山に入れば、新緑の香りのする一番良い季節です。5月3日、恒例の神野山つつじ祭りが開催されて、地元の大字からは焼きそば店などを出店して多くの人でにぎわいました。





2010年4月26日
雨の日が多い4月ですが、今日は晴れ間がのぞきそうです。この近辺の田は既に荒おこしが終わっていて、カエルがあちこちで鳴いています。工場の横の田を作っておられる方は、米作り専業で20ha位の他人の田を借りています。今はどのようなものでも機械で出来るし、あでぬりもトラクターで乗りながら、一人で出来ます。山々の木々はまだ芽吹いていませんが、山桜はおおかた散り、続いてなわしろつつじが山すそで美しく咲いているのを見る事が出来ます。





2009年6月25日
茶木に被覆をするのとしないのでは写真のような差が出ます。真ん中が被覆していません。これを露地物と呼びます。左が被覆をしています。これを製造すると、茶木に直にカンレイシャをかけて伸茶にしたのが玉露です。蒸してもまずに乾燥したりがてん茶と言います。てん茶を石臼でひいたのが抹茶です。直射日光を遮る事でタンニンが少なくなり、苦味の少ない、甘みのあるお茶になります。


この被覆したお茶は緑色が濃く、新茶の全体がやわらかくなっています。10日以上、カンレイシャをかけています。

このお茶はカンレイシャをかけないで育てたお茶です。新茶らしく、やや黄味を帯びています。

被覆したお茶をてん茶に製造したもの。緑色が濃く、香りは玉露に似ています。このお茶は削り節状でパリパリしています。

2009年6月3日
今日は茶畑の若葉が一斉に空に向かって伸びる様子を想像してください。まず芯があり、それから小さい茶葉が交互に出ています。お茶を製造すると、芯から茶葉がとれて、お茶葉になり、芯の部分は茎になります。その茶を煎茶や玉露にする場合、簡単に言えば、茎を除いて形を整えなければなりません。玉露の場合、ずっと以前の事ですが手で茎を取り除いていました。また煎茶の場合は、電気選別機で静電気を起こして取り除いていましたが、何回機械を通しても綺麗になれなくて困っていたところ、宇治の機械メーカーが、機械の目を通して、お茶の緑色、また茎の白色を区別し選別する機械を作りました。これが色彩選別機です。この機械の出現により、選別精度が向上しました。


これが色彩選別機という機械です。私たちは色彩と呼んでいます。

こちらは正面から見た図。ここではお茶と茎とを分ける事が出来ます。

正面手前の投入口にお茶を投入すると、お茶が色彩へと運ばれて行きます。

2009年5月22日
今日はお茶の品質にとって重要な蒸し工程について書きます。この工程で茶葉を連続して蒸します。ここでは2つの機械によって成り立っています。まず最初に、蒸気を発生するボイラーと茶葉を蒸す蒸し機です。ボイラーの役割は、水を重油のバナーで蒸して高圧水蒸気を発生させ、蒸し機へ送ります。蒸し機は丸い筒状で横になっていて、上下出来るようになっています。その筒は右から入った茶葉が左へ蒸された状態で出てきます。その筒の中には、網状の筒があり、その中を茶葉が通ります。またその網状の筒が回転し、更にその網の筒の中心を茶葉がかくはんする棒が通っています。蒸し機の上下を網の筒、かくはん機の回転数によって蒸し時間が変わります。この事はお茶の香り、味に大切な工程です。


水を重油バーナーで熱して、高温の蒸気を発生させます。その蒸気を蒸し機に送り込んで茶葉を蒸します。

蒸し機に茶葉を投入しています。投入機より連続して茶葉を蒸し機に入れて蒸しています。

蒸し機より蒸し上がった茶葉が出てきます。高温の蒸気の中を通ってきただけに、茶葉は熱くてフタフタになっています。

2009年5月18日
毎年四月の頃から新茶の便りが聞かれるようになり、訪問先で新茶を飲ませていただく機会があります。そんな時の一服の新茶を口に含んだ、あの新鮮な味は忘れられません。そもそもそれまでは、前年のお茶、つまり一年間経過したお茶ばかり飲んできたので、その様な感じになるのです。新茶の味の特徴はなんと言っても、すがすがしい清涼感です。そんな新茶の味を維持するために、窒素封入して冷蔵庫保管している訳ですが、それでも少しずつお茶が枯れて行き、新茶の香りがなくなってしまいます。

2009年5月15日
晴れ。朝6時10分の気温としては肌寒い感じです。平年の5月の気候よりも少し低いと思います。新茶の芽伸びも遅れがちですが、夏日が続くと一気に伸びて、ふくいくとした新緑の香りがなくなるので困ります。新茶の香りは一年を通してこの時期だけのもので、聞いた所によりますと、一口に新茶の香りと言っても一種類だけではなく約170種類の香りが合わさって出来ているとのことです。新茶も各茶園で製品が違い、その為、香りも違うことを考えるとそれが原因と思われます。また、香りの強さも香水の様な強烈なものではなく、微妙に奥から湧き出る奥ゆかしいものです。次回は新茶の味について書きます。


県立自然公園神野山へ向かう道端の茶園。煎茶が出来ます。

県道道端の煎茶を作っている茶園。

神野山の中腹にある茶園。かぶせ茶が出来るようです。

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